「ウサギとカメ」
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「『ウサギとカメ』は、古典になるだけの理由がある。」
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「とても有名なお話ですね。『ウサギは足が速いのでピョンピョン跳ねて、カメはノロノロとあとから歩いてくるため、ウサギは昼寝していたところ、カメに追い抜かれて、カメのほうが先にゴールに着いてしまった』というお話ですね。」
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「人生のどこかでピークをつくってしまった人は、そこの一点に心が止まってしまい、いつも黄金期の自分のことばかり思っているので、今、下りに入っても、それが分からなくなってしまう。その黄金期のことばかりを反芻して、自分は偉いとか、成功者だとか、そんなことを言うのですが、今、下っているのであれば、その下っている部分を補うための努力が必要です。」
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「十年経っても、二十年経っても、昔のことを言い続けるのは良くないですね。」
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「そうだな。また、早くできた者は、才能があると思って得意になるのですが、やがて、あぐらをかいたり、他人より自分のほうが進んでいると思ったりして、”サボって”き始める。そうこうするうちに、あとからゆっくり出来上がってくる人がいて、追い抜かれていく。」
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「ウサギはカメに抜かれたとき、そんなはずはないって思いますね。」
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「抜かれた原因を、親や兄弟、先生、学校、社会環境など、いろいろなもののせいにしたりすることも多い。そうすると、だんだん自分が”サボって”いたことを忘れ、周りの人のせいにしたり、環境のせいにしたりするようになって、反省ができない。そして、他人が先に進んでいくことについても、面白く思わない気持ちのほうが強くなったりするようになる。」
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「自分が”サボって”いたことは忘れて、他人が進んでいくことを許せない気持ちにもなるかもしれません。」
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「そうだな。自分のことは持ち上げて、他人をバカにするような傾向も出てくることもある。自然とそうなってしまうので、緩やかではあるが、ある程度、そんな法則性はあると思う。カメのように歩き続ける、謙虚さが大切である。」
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「そうですね。謙虚に努力することが大切なのは分かりますが、謙遜する人が何だか嘘っぽく聞こえるときがあります。」
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「実は、裏では褒められたくて、そのように思っているということですか?」
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「人前で謙遜してみせるような人は、世渡りが上手いだけで、本心は違うかもしれない。本当は腹の中は真っ黒なのではないかと思うときがあります。」
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「謙遜にも実力があって、最初は嘘っぽく聞こえるものの、努力して続けていると、最初は言葉だけで言っていたつもりだったものが、本当になっていくこともある。」
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「そうなのですね。」
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「『いやいや。もう私は才能がなくて、本当に人の二倍、三倍努力するしか成功する道はない』と思っていたとして、最初に言ったとき、もしかしたら、自分なりにでっち上げた謙遜とか、つくった謙遜だったかもしれないが、自分は努力しないと追い付けないと、繰り返し繰り返し言っていると、最初は嘘でも、嘘でなくなって本当になってくる。本当に感じてくると、自然と人格が変わってくる。」
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「最初は本当ではなくても、繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせ、本当に人の二倍、三倍努力するようになって、自分を変えていけるのですね。」
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「大切なのは、継続すること。繰り返し繰り返し言い聞かせること。自分でも、だんだんに、それが本当に感じられるようになってきて、”必ず昼寝をするウサギ”から、”歩き続けるカメ”になってくる。若いときには、人を祝福する言葉が嘘っぽく感じられて偽善者のように思ってしまうので、誰かが謙遜するようなことを言っていたら、偽善者だとか、ご機嫌取りだとか、この人は嘘つきだとか、思ったりしてしまう。」
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「そうですね。素直に受け取れず、何か嘘っぽく感じてしまいます。」
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「努力してやっているうちに、それが実力になってきて、今以上の自分を目指すために必要な精神的状態になってくる。そうすると、自然と生活態度が変わってきて、自分の実力も上げていくことにもなる。自分のことを過大評価もせず、過小評価もせず、自分の実績を判定するのが大事であるが、これは至難の技。ウサギとカメの話は、人生の処世訓である。”歩き続けるカメ”になって、個人の努力と、謙虚さを忘れないでください。」
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「はい。出来上がらないように、継続する努力が大事ですね。」
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「延々と努力し続ける者には勝てません。」
⭐参考文献
大川隆法「謙虚さの底力 成功を持続する人生哲学」
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