本当にその治療・処方薬は必要?国民健康保険へ討論

活動報告

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昨日12/18をもちまして、令和6年12月議会が閉会となりました。

昨日の本会議で、「杉戸町国民健康保険税条例の一部を改正する条例」に対して討論をさせていただきました。

議席番号4番 久松祐樹です。議長より発言の許可がございましたので、議案第 92 号「杉戸町国民健康保険税条例の一部を改正する条例」に対して、賛成の立場から討論させていただきます。

まず最初に申し上げたいことは、私は町民の自由な活動を支えるために、社会保険料や税金は減税していくことが不可欠だと考えております。しかし、そのためには、政府の仕事を減量し、歳出を減らすことで、減税する余地を作っていかなければいけません。そして、健康保険の分野では、例えば、町が勝手に制度をいじることは許されてはおらず、その改革は国会での議論が必要になります。これをせずに町の国民健康保険の引上げだけ反対したとしても、それは消費税などの別の形の増税になるか、あるいは将来世代の先送りとして借金になるか、はたまた、膨大な借金を原因とした物価高という、いわゆるインフレ税として町民に帰ってきます。ですから、本議案へは、国民健康保険の運営維持のためにはやむを得ないという立場からの賛成です。当町では、一般会計からの繰入れも行われており、他の事業への影響も少なからずあるからです。

もっとも私は、今の医療に対して「本当にその治療は必要なのか」「本当にその処方薬は必要なのか」と疑問に感じることがあります。日本経済新聞社出版の「無駄だらけの社会保障」では、『腰や膝が少し痛いだけで湿布薬を処方してもらう。花粉症シーズンを迎えて抗アレルギー鼻炎薬をたくさん欲しいとお願いする。私たちは軽い症状でも安易に病院に通い、医薬品を求めていないだろうか。診察する医師も本当に必要な分だけを処方しているのだろうか。過剰な治療と医薬品処方は公的医療保険の財政圧迫につながる。しかし、患者や医師にこうした問題意識は根付いていない。治療や処方薬に患者本人が支払う代金は原則、総額の 3 割(70~74 歳は 2 割、75 歳以上の後期高齢者は 1 割)で、残りを保険料や税金で賄っていることに思いがなかなか至らない。病院では収益を優先しなければ医療の質が保てないという理屈が持ち出される。多くの人が自らの懐具合だけを気にしている間に、日本の社会保障が抱える「病」は末期的な状態になっているのだ。(中略)先進的な治療方法や医薬品、充実した介護サービスは多くの患者の命を救い、高齢者の生活を助ける。本当に困っている人を支えるために私たちは何をなすべきなのか。公的サービスである「公助」の領域を再定義し、一人ひとりが責任を持つ「自助」とお互いに手を差し伸べる「共助」の領域をできる限り広げていく。財政破綻を避けるには世代や立場を超えた痛みの分担が欠かせないのだ』とございます。

私は、行政の役割は個人も企業も最大限に自由な活動ができるよう環境整備をすることであり、社会保障はセーフティネットとしてのものに留めることが重要であると考えております。医療で申し上げますと、何かあったときのために病院は必要です。しかし、「本当にその治療・処方薬は必要なのか」患者も医師も、このような問題意識を持つことが大変重要だと思っております。治療や処方薬の代金の自己負担分以外は、保険料や税金で賄われております。本当に困っている方に必要な分だけの治療と医薬品処方が、財政破綻を避けるためには大切ではないでしょうか。以前、こども医療費を 100 円でも 200 円でも一部自己負担化をすることで過剰な医療を抑えられると討論もさせていただきました。過剰な治療や医薬品処方は財政を圧迫します。その結果、現役世代は非常に重い、社会保険料を負担しています。医療・介護・年金を併せると、収入の約 3 割を社会保険料だけで支払っています。また、それだけでは社会保障費は賄えず、消費税などの税金も投入されています。これからさらに少子高齢化が加速していく中、このような社会保障では安定的な運営はできないと考えております。社会保障のあるべき姿とは何なのか、十分な検討が必要だと思っております。自分の健康は自分で守る、まずはこれが大切です。自助・共助・公助の領域を慎重に検討し、いくつになっても、健康で、元気な方で溢れる杉戸町を強く強く要望させていただきます。

以上を賛成討論とさせて頂きます

📝2024年12月議会 議案第92号 討論原稿

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