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「むぎちゃん🐔、そら先生🐹が二宮金次郎のような勤勉の精神が大事だと言っていたのですが、二宮金次郎って、どんな方なんですか?」
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「二宮金次郎は1787年に神奈川県小田原市に生まれ、1856年に70歳で栃木県今市(現在の日光市)で亡くなったわ。」
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「そうなんですね。薪を背負って読書をしている銅像がある学校もありますね。」
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「そうね。小学校の校庭に銅像があったり、殆どの日本人なら知っていると思うけど、生涯にどのようなことをし、どのような教えをしたかを知る人は少ないかもしれないわね。」
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「そうですね。銅像を見ると、なんか勉強熱心な感じは伝わってきます。」
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「二宮金次郎は生まれた頃は裕福だったけど、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳で、お母さんは16歳の時に亡くなった。そこで叔父さんに預けられて、ある夜、明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られた。『お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。』と言われました。金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読んだけど、また叱られてしまう。『お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらない。』と言われました。それから始まったのが、薪を背負い歩きながら本を読む姿よ。」
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「学び続けたいという強い気持ちが伝わってきますね。」
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「やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、実家の再興に取り掛かった。そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興した。それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来た。それが広まり今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、生涯に615の村々を立て直したと言われているわ。そして、金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となった。」
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「武士の位を授けられて、二宮尊徳となったのですね。どのような教えを人々に説いたのですか?」
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「二宮金次郎は、まず 勤労・分度(倹約)・推譲を人々に勧めた。勤労とは、徳に報いるために働くこと。分度とは、収入の範囲内で支出を定めること。推譲とは、勤労・分度をしてたまった物を将来のために残したり、人に及ぼしたりすること。また積小為大・五常講を人々に説いた。積小為大とは、小を積んで大と為すということ。五常講とは、お金の貸し借りの旋回の過程で、『仁』の心をもってそれぞれの分度を守り、多少余裕のある人から困っている人にお金を推譲し借りた方は、『義』の心をもって正しく返済し、『礼』の心を持って恩に報いるために、冥加金(神仏から受ける加護や恵みに感謝して出すお金)を差し出すなど、心を配って人に接し、『智』の心をもって借りたお金を運転し、『信』の心を持って約束を守る、すなわち『仁義礼智信』の『人倫五常の道』を守ろうと説いた。」
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「一日一日を堅実に積み重ねていって、お互いに助け合うことが大事ですね。」
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