お祈りの意味

お祈りは思考を諦めることでしょうか。お祈りなんて無意味でしょうか。私は決してそう思いません。お祈りとは、日々の生活を見守って下さる神様への感謝だと私は思います。お祈りは私達が日々の生活で最大限の努力をしていることが前提で、何も努力せずに他力本願を願うものではございません。何か困難に直面したとき、神様にお祈りするだけではなく、解決策を考え、実行し、反省し、改めて行動する姿勢がとても大切です。

以下のようなご質問を頂くこともございます。

Q①
目に見えないものにお祈りしても問題は何も解決しない。だったら自分で努力して解決を図るべきではないか。
A①
自分で努力して解決を図ることはとても大切なことです。しかし、問題を解決するために、お祈りするのではありません。無意識のところで神様が支えてくれていることへの感謝がお祈りです。

 

Q②
お祈りに頼るのは弱い人間ではないか。
A②
自分の力で道を切り開ける人を強い人間、自分の力で道を切り開けない人を弱い人間と仮定します。確かに、努力せずお祈りばかりに頼るのは良くありません。しかし、生まれた環境や育ち等により、努力できる質や量に差が出ることはあります。もちろん、生活環境が整っていれば、自然と努力しやすいでしょう。一方、生活環境が良くなければ、充分な努力ができずに、お祈りに頼らざるを得なくなることもあるでしょう。大切なのは、今置かれている環境で最大限の努力ができているかどうかです。言い換えると、私達ひとりひとりには乗り越えなければならない問題集があります。その問題集は皆違い、決して優劣を付けることはできません。加えて、問題集の答えのすべてが、社会的な成功を目指するものとは限りません。自分に与えられた問題集に気付き、全力で取り組むことに大きな意味があります。今できることに、行動の大小を問わず、全力を尽くしている人間は強い人間だと思います。

 

Q③
病気や事故など自分の力では解決できない問題に直面したときにお祈りすれば良いのではないか。
A③
自分では手に負えなくなったので神様に助けを求めるのはお祈りではありません。困ったときの神頼みではなく、普段の生活から神様に感謝の気持ちを伝えて、私達自身で病気や事故を未然に防ぐ努力、例えば生活習慣の改善やストレスを溜めない生活を心掛けるなど、が大切です。

神様へ感謝して生きることは人格を磨き、本来の人間の幸せとはなんであるかを教えてくれます。生活が豊かになったり、その恩恵を受けて、知的な人間が増えると、神様に頼らなくても生きていけると考える方が増えるかもません。決して豊かさや人間が賢くなることを否定しているわけではありません。私がお伝えしたいのは、心を満たせる生活を送れる・知性を生かせる環境がある、これらの幸せへの感謝は絶対に忘れてはならないということです。

ひとりでも多くの方の人生が、もっともっと豊かになれば幸いでございます。最後までお読みくださり誠にありがとうございました(^ω^)